本文へスキップ

電話でのお問い合わせはTEL.

3.11ここからプロジェクト(ここP)は、
暮らしのなかでの不安や思いをしゃべりあう場が必要だねと、東日本大震災を機にできました。
あの日と同じように不安でいっぱいのいま、あの日を思い出しながら、かかわってきたみんなで、
この10年を振り返ってみます。

 
  1. 2011年3月11日(REIKO)

2011年3月11日

 ここPメンバーREIKOです。この日私はひとり富士見町の家にいました。確定申告締め切り直前だったので電卓と領収書をにらめっこしてたら突然の大きな横揺れ! 揺れはなかなか終わらず、庭に出たり入ったり、おろおろしながら、息子(当時小学6年生)は大丈夫だろうか、原発は無事なのか、鎌倉時代の大地震でどうだったんだろう、このまま世界は終わるんじゃないかなどなど、ゆらゆらする電信柱を見ながら考えていました。あ、月末に新居に越す予定だったので家は大丈夫かなあというのもよぎりました。その後、防災頭巾をかぶって集団下校してきた息子を確認して一息ついたのを覚えています。
 それでもやはり不安だったのだと思います。なぜかずっとテレビをつけ続けていました。東北の太平洋沿岸を津波が襲ったり、東京電力福島第一原子力発電所が電源喪失したりと、次々と明らかになる被害を見て、文字通り呆然としていました。人が暮らす地域と命がいとも簡単に失われていく様子、メルトダウンして放出された放射能と、次から次へと入る被災地の情報に、心はぐらぐらしていました。テレビをつけつつ、インターネットも活用していろいろな情報をあつめ、そしてその日から水を汲んでおく日が始まりました。放射能と断水に備えてです。
 そんななか、HUGの仲間から「被災地に何か送ろう!」という呼びかけがあったのは発災後数日後のことでした。これってまさに「ここPの芽」! すでに東村山では、被災地を応援しよう、得体の知れない放射能の不安にむきあおう、でできることを探そうという動きも始まっていましたが、まずは私たちはできることをやりながら、できることはいっしょにできればいいねと話をしました。(REIKO)

    

3.11 ここからプロジェクト
リレーコラム「それぞれの3.11 ~ 今につながるあの日」